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ふた月程前の話題を書き留めていたので、ほとぼりの冷めた頃に取り上げてみる。
福島の産科医逮捕事件の無罪判決について、
報道が完全に二極に分かれていて興味深い。
遺族の方は判決後「なぜもっと整った病院に移す判断をしてくれなかったのか」と話し、
それと呼応してワイドショー等のコメンテーターは「もっと検察が頑張って調べていれば」と無念そうにしていた。
はじめに私の考えを述べておくと、
産科医に対する無罪判決は妥当だと思う。
事件の概要は、
29歳の妊婦が帝王切開時に失血死、
癒着胎盤の症状のある妊婦に対し胎盤の剥離手術を施した(大量失血の予見が出来たにも関わらず剥離を行った)医療ミスであるとして産科医が逮捕された。
その後医師側から報告された詳細は以下の通り。
前置胎盤(胎盤が子宮の出口に近い部分に付着し、子宮口を一部または全部ふさいでいる病的状態)の妊婦の帝王切開を行った際、
癒着胎盤(胎盤が母体の子宮に癒着して剥離が困難となる疾患)の合併が判明。
癒着胎盤は術前の予測が困難な合併症であった。
前置胎盤と癒着胎盤の合併は極めて稀であり、産科医はこの際あえて胎盤剥離の決断を下した。
追加輸血施行および血圧上昇確認後に子宮を摘出。
その後止血操作中に突然心室細動を来たし蘇生を試みるも妊婦死亡。
帝王切開により誕生した子供は無事であった。
出来る限りのソースから自分で事件をまとめてみたが、
そこで目にした学習研究社「いのちを産む」からの引用を、ここでも使わせてもらう。
「医師の罪状は業務上過失致死罪であったが、本来的に結果の完全な予測が不可能な営みである医療行為に対して、「結果が予見出来たにもかかわらずそれを回避しなかったこと」を罪とする業務上過失致死罪の適用はナンセンスであり、これがまかり通るならば出産を始めとするリスクを伴う医療行為を引き受ける者は存在しなくなるとの批判がある」
警察と遺族はこの事件において
「防げたであろう死」「医師の判断ミス」という視点から切り込んでいるが、
医学界では
「適切な医療行為の結果、救命できなかった例」であるとした。
これが例えば最近あった「別のがん患者の検体と間違って健康な乳房を切除した」とかいうものなら完全なミスだが、
この産科医の言っている事が真実であれば立件されること自体が不可解だ。
(実際警察側は医学的な範囲で詳細を把握出来ていなかったという。)
お産は成功して当たり前ではないだろうし、
この前置胎盤、癒着胎盤の状態で手術を取りやめ、他を当たったところで誰が、どういった処置をすれば100%死を防げたというのか。
私は医療に全く通じていないが、
「子供は無事に生まれて欲しい」と希望した(とされる)妊婦の意思を尊重して、
術中に合併症が判明した中やれるだけのことをやったという医師に対して「人を殺した」というような目が向けられている、という理不尽な印象しか受けない。
おかげで患者が「出産における生死のリスク」を医者ににおわせるあまり、
医者が出産における処置リスクの大きさに萎縮してしまい、産科医が激減してしまった。
(※少子化の影響もある)
http://webnews.asahi.co.jp/you/special/2006/t20061129.html
ここにそれと関連する「何故帝王切開が増えているか」というトピックがあった。
文中の
「帝王切開が増えている背景には、高齢出産の増加がある。母親の体力が落ちていることに加え、自然なお産に時間がかかり、お腹の赤ちゃんに悪影響を及ぼしかねないため、帝王切開が選ばれるケースも少なくない。
しかし、「他にも大きな原因がある」と言う。
「一番の理由は医療訴訟。
何かあればすぐに訴えられる。
無理なお産をなるべくせず、『トラブルになったら困る』『医療訴訟を避ける』という意味で『防衛的医療』と言うが、『何かあったら困るから、もう切ってしまおう』と」
医療訴訟云々についてはよく耳にするが、身近でなく、第三者的感覚でとらえている。
しかしどこか医療に対して成功すればありがとう、失敗すれば訴えて然るべきである
というような全体の風潮が様々な方法で拡がっているような実感はある。
教育等他分野でも同じ、失敗すれば…というリスクばかりが膨らみ続けている今、
少し前までは「コーヒーを自分で自分の膝にこぼしてやけどしたって訴訟するんだよ!」と笑っていた訴訟大国アメリカと並ぶ訴訟大国日本になっていく様があまりにも自然だ。
それが悪いことなのか?そこも判断出来ずにいるわけで…。
さてお産について今はまだ私には縁遠いが、いつか我が子を望むようになるまでに理解を深めたい分野である。
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