2006年02月のアーカイブ

シーズンにむけて

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5,6月のブライダルシーズンにむけて、ホテル等の式場では模擬挙式・模擬披露宴が催されます。
そういう所でもよく演奏するんですが、模擬に限らず本式でも
・会場
・控え室
・扱い
場所によって様々ですね!当たり前ですが。
これは演奏者の立場からですがご飯やお茶券を下さる所もあれば、
汚い物置で聖歌隊やオルガンの方と皆で詰め込まれる所もあったり。
(ちなみに写真はホテルの一室が控え室になっている窓からの景色)
少子化と結婚式自体の減少により格差は広まる一方です。
但し式は工夫を凝らすようになっても、働く側の待遇は全体に悪化の一途を辿っていますが。

シーズンになれば何組も立て続けに式を行わなければいけなくなります。もちろん毎回心を込めてお送りできればと努力はするんですが、
・ホテル側スタッフの対応
・式場の不備
まあ、いろいろあります。
人間ですから慌しくなって混乱することもありますが、
先日はなんと新郎新婦に依頼されていたリングピロー(ピローといってもガラス製)を発注し忘れたとかで前後のカップルの名前入りの物を「これは同じ形なのでばれないでしょう!」と使用した某ホテル。

恐ろしい!!!

いえ、状況としては仕方が無く、結果上手く終わったので対応としては○(△かな)だったのですが。

私は絶対そんなの嫌だな、と思うと、気付かなかったお二人への申し訳なさが…。
私は関係ないのに、なんだか非常に申し訳ない!
仮にもチャペルなのにこれでいいのでしょうか、神は許してくれますか?


一生懸命演奏しますので許してください、アーメン


※いい式場も沢山あります。
あくまで一個人の経験と感想ですので、これから結婚される方は過度なご心配はなさらず、ご自分の目で模擬挙式なり披露宴なり確かめて下さい。

投稿者 mizuno : 14:51 | コメント (0) | トラックバック

じょうずにひけませんでした

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みなさんご存知のろっきーです。
彼は毎週驚くほどの成長ぶりを見せてくれる愛弟子。
(宿題に出した曲は必ず弾けるようになって持ってきます、スゴイ!)

練習後、忙しくてレッスンに付き添えないお母様に、
細かく次の練習をお知らせするのですが…
そのコメント欄にろっきーが書いてしまった言葉は

「ひろきくんは じょーずに ひけませんでした」

褒めると怒ります。
子どもって不思議…
でも彼の場合その「自分はまだまだだ!」が努力に繋がるから素晴らしい。
5歳児恐るべし。

余談ですが、もう一人の生徒・リカちゃんは大のジャニーズ好き。
いつものレッスンに加えて「青春アミーゴ」が弾きたいとか。
けっこう難しいかも?先生も練習します。

投稿者 mizuno : 14:03 | コメント (0) | トラックバック

青汁

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レッスン前後、ライブ前後など、
ここぞというときに飲むのが青汁。
ここぞといわないときにも青汁。
そして皆に勧めて、後悔させてしまう青汁。
何にせよマイフェイバリットです。

梅田や難波のお店では青汁をその場で飲むことができます。
ヴァイオリンケースを肩にかけ、嬉々として青汁を飲んでいる女性がいたとすれば、それはかなり高い確率で私です。

そしてついに…!
50個の青汁スタンプを集め、カードがいっぱいになりました!
なんでしょうこの達成感と幸福感。これも青汁の効果?

投稿者 mizuno : 23:00 | コメント (0) | トラックバック

何故名前が無いか

不細工で粗暴、という扱いを受ける女の子、ジャイ子。
彼女には名前がありません。
兄であるジャイアンには本名が存在する為、
もちろん名前をつけようという動きはあったようです。

「ジャイ子の名前を考えませんか」
と編集者が提案したところ、藤子先生はしばらく考え、
「やっぱりやめましょう」
とおっしゃったそうです。
「名前をつけたとき、同じ名前の女の子がからかわれてしまうかもしれないから」

特に誰が憎しみを覚えるキャラクターでもありませんが、
http://uuseizin.web.infoseek.co.jp/nobita/giant-ko.html
ここで紹介されているように、役どころとしてはやはり、どう見ても嫌われ役か引き立て役。

キャラクター設定自体に諸所思う所はありますが、実際彼女の存在はストーリーに不可欠だったのでしょう。
自分の生み出したキャラクターに責任を持ち、
その上で子どもを大切に思い、気遣う作者の発言が私には暖かく感じました。

「なぜジャイ子に名前が無いのか」
「ジャイ子に名前を付けよう」
と言われたとき、からかわれてしまうかもしれない見知らぬ少女を気遣うことがどれ程の人に出来るものでしょうか。

少なくとも、私にその発想はありませんでした。

投稿者 mizuno : 19:22 | コメント (0) | トラックバック

バンクカフェ

表参道ヒルズにバンクカフェが誕生するそうです。
外資系に関して思うところの多い方もいらっしゃるでしょうが、まあそれは今おいておきましょう。

 今週の2月11日(土)からオープンの「表参道ヒルズ」。すでにニュースや雑誌などでご存知の方も多いのではないでしょうか。著名な建築家、安藤忠雄氏の建築設計ということもあり注目されているようです。

 その話題の場所に、新生銀行が新登場します。
http://www.shinseibank.com/(新生銀行ホームページ)
口座を開設する際にメールアドレスも記入しますので、定期的にメールが送られてきます。
以下はその内容から

「今回はイタリアの家電メーカー、デロンギ社との隣接店舗を実現。「新生銀行 デロンギカフェ」として、本場のエスプレッソを飲みながらのインターネットバンキングなど、銀行体験をスタイリッシュな雰囲気で演出します。
店内には、新生銀行ATMやインターネットバンキング用のパソコン、コールセンターへの直通電話があり、口座をお持ちのお客さまは、カフェを楽しみながらインターネットや電話を使って、お振り込み、口座情報の照会、円・外貨預金、投資信託などのお取引や各種商品・サービスのお問い合わせが可能です。また、簡単なお手続きだけで、口座を開設いただくことも可能です。」

新生銀行の戦略って下手をすれば無駄ですが、私は好きです。
これまでにもカードを32色(ちなみに今月のカラーはChocolate Caramel)にするなど、発想が豊かというか、躊躇せず実践してしまうところがいいですね。

大阪ミナミにも店舗がありますが、いわゆる「銀行」のイメージとは大きく違う雰囲気になっています。
折角この週末東京だったのに、足を運ぶことが叶いませんでした。残念…

というか、デロンギってこんなのもやってたんですね。
おもしろーい

投稿者 mizuno : 14:45 | コメント (0) | トラックバック

もう一度聴いてほしかった方に

極めて個人的な話題が、試験を終えた報告と共にお知らせさせて頂きます。
2月1日、私が最初にヴァイオリンを教わった石井先生とのお別れが訪れました。
7つのころからおよそ10年間、私を育ててくださった恩師は、81歳になっておられました。

訃報を知ったのはお通夜の終わった晩で、次の日の朝レッスンの予定があった私はその後告別式に向いました。

先生の手を離れて4年、一度も演奏をお聴かせ出来ないまま、無言の再会となりました。
遺影はとても素敵な写真で、私の良く知っていた先生そのままでした。

横に置かれたヴァイオリンと、会場に流れるクライスラーの「愛の喜び」に、
私は溢れる悲しみと先生との思い出を抑えることが出来ませんでした。
いい思い出ばかりではありませんが、お会い出来なくなって気付くことが多過ぎます、どうしたものでしょう。

先生に出会って、私はここまで来ました。
もう一度だけでも、聴いて頂きたかったのに。
こんなに早く、叶わなくなってしまいました。

告別式の3日後、私は実技試験を迎えました。
そしてその翌日、先生の生徒だった頃の発表会の映像を観ましたところ、
試験後の爽快感と相俟って、今まで続けてきてよかったと胸いっぱいに感じることが出来ました。

どうか、安らかにお眠り下さい。
先生がたくさんの生徒の中に残された音楽は、きっと絶える事が無いと思います。
本当に、ありがとうございました。

たくさんの教えに感謝を込めて、締めくくらせて頂きます。

投稿者 mizuno : 00:23 | コメント (0) | トラックバック

道徳・倫理と合法性について

 教職課程・道徳教育論の授業の中で、授業で取り上げられた「マジシャン」や「ハインツのジレンマ」といった、個々人の倫理観を焙り出すようなストーリーについて、どのようにして子供にその個々の感情と、理性的な部分と、ハインツで言うなれば妻を救いたいが為に行った「盗み」という方法について法の下の合法・非合法性を理解させ、葛藤を促す事が出来るか考えることにした。

「マジシャン」と「ハインツのジレンマ」について紹介する。
■マジシャン
「無名のマジシャンが、大きな舞台での活躍を夢見ながら日々練習に励んでいた。
 彼はある日公園で、一人の男の子と出会う。
 マジシャンは男の子が家に帰っても一人ぼっちなのでここでひとりで遊んでいるのだということを知り、
 可哀想に思って自分のマジックを彼のためだけに見せてあげた。
 男の子は大変喜び、マジシャンもそんな彼を見て嬉しくなった。
 そうやって会うようになった二人はたちまち仲良くなり、
 「明日も来てくれる?」と言う男の子に、マジシャンはいつも「もちろん」と答えた。
 
 しかしある日、マジシャンの下に遠く都会に住む友人から連絡が入った。
 「大きな舞台での出演が決まった!すぐに支度をしてこちらに向うんだ」

 待ちに待ったチャンスがやってきた。
 喜びを感じると同時に、明日もただ一人公園で自分を待つであろう男の子との約束がよぎった。
 「迷うな、こんなチャンスは二度とないぞ」
 といって電話は切れたが、マジシャンは大変悩んでいた。
 
 次の日、公園にはひとりの男の子の喜ぶ姿と、マジックを披露する無名のマジシャンの姿があった。
 マジシャンの決断をどう考えるか。」

■ハインツのジレンマ
「ハインツと、難病に冒された妻がいた。
 妻を救うためには薬が必要だが、ハインツにはその為のお金が無かった。
 どうしても妻を救いたい彼は、薬を盗んでしまった。
 ハインツの行動をどう考えるか。」

そもそも授業の中でこういったものが子供たちにどういった影響を与えたか、又教師がどういったように論じたか等の具体的な結果は提示されなかった為、私自身がこの話の内容と、これを今後教壇に立った場合にどう扱えば良いのか悩む結果となった。

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  そもそも法とは、道徳とは何なのか。まず法と道徳との違いを見極めることによって法がより鮮明になると論じておく。かつて中世で法と道徳は同一視されていたのと同様に、私たちが暮らす現在でも法と道徳が重なり合い、同じものが多くなった。その中には、『人を殺してはいけない』、『人のものを盗んではならない』、『約束は守るべきである』といったような、法でもあり人間の道徳でもあるようなものである。しかし重なり合い、同じものが多くなったからと言っても、法には道徳に裏付けられたものとそうでないものの2つがある。そこで法の定義を明らかにするために法と道徳の差異について見ていこうと思う。

多くの法学者がその違いについて論じてきたが、代表的なものを紹介すると、 まず一つ、『法は人の外面的行為を規律するが、道徳は人の内心を示すもの』だということある。人を殺すという意思を持っただけでは、道徳上は非難されても、法的には違法性は見られない。つまり結果が必要なのであり、客観的な外の立場から科学的な根拠が必要なのである。
そして二つ目、『法は相手方に対する義務があり、道徳は相手方がいない片面的義務である』。つまり道徳では老人に席を譲らないからといって、罰せられるものではなく、ただ自分の良心や神に対しての義務で特定の相手に対してではない。
三つ目、これは通説であり『法には強制力があり、道徳には強制力がない』。 近代法の父と言われたイェーリングの主張で『もしこの世に強制のない法があったらどうだろうか』、それは法としては無意味に等しい。そして彼は後世に残る名言『強制の伴わない法はあたかも燃えない火である』を残した。つまり強制は法の本質的要素なのである。
そして最後に紹介するのが、『法は現実規範であり、道徳は理想規範である』。つまり法は誰もが守ることの出来るような内容であるべきで、道徳はよりよい人格を形成するためのものであるといえるだろう。

  結局、法と道徳は共に人間の行為規範である。道徳的行為、それは『個人の良心』の問題であり、社会的非難という存在を受け、社会的良心が芽生え、よりよい社会の実現を目指し社会的秩序維持のため法が出来上がった。この流れはまず子供たちに説明すべきであろうと考える。
 そこで、先に述べた、授業内で取り上げられた物語について、「子供たちがその道徳的問題について自身の行動やグループの行動に応用することが出来ない」という問題が指摘されていた。それに対して私は身近なもので法に触れないが個々人の判断が食い違いトラブルの原因になる事柄を挙げてみようと思う。以下は子どもたちへの質問と、予想される反応を記述したものである。



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質問:
人のまばらな電車内で、見たところ健康そうな若者のグループやサラリーマンが優先座席に座っている。車内には席を譲るべき人も見あたらないが、普通の座席も空いている。
この人達についてどう考えるか自身の経験を含め考える。

予想される反応:
・他の席も空いているのだから、優先座席には健康な人は座らないほうがいい。
・お年寄りや身体の不自由な人がいないのであれば、座っていても良い。
・車内が混み合って、他の席が埋まっているところにお年寄りや身体の不自由な人が入ってきたら譲ればいい。
・外見は健常者に見えても、心臓疾患などの内部障害者もいるかもしれないから自分は注意できないし、なんともいえない。

さて、一体どうすれば倫理的・道徳的に正しい道であるのかというのはとても難しい。
このシルバーシート(優先座席)の問題は、その登場当初から取り沙汰されているようだ。
 初めてその前身が登場したのは国電中央線で、1973年の敬老の日で、ルーツは意外にも「婦人・子供専用車」だったという。73年8月末に姿を消したが、この年総務庁が老人対策室を設置し、マスコミがこぞって「福祉元年」をうたうなどの機運のなかで、弱者救済の対象は自然と婦人・子供から高齢者・身体障害者にスライドし、シルバーシートを生み出した。
 そういった背景について改めて考えてみると、そこには、高齢者や障害者は一般社会とは隔離されたような施設で特別に面倒を見ればいいという、戦後繰り返してきた日本の福祉の思想・倫理観が見え隠れしているように思える。対象者への支援をシルバーシート等で完結させてしまっており、対象者ではない人々の思考力や想像力を奪ってきた部分がある。それは例えば、「対象者は一般の座席ではなく、シルバーシートに行けばいい」といった風潮を招いてしまう。「障害者は社会に出てくるな、施設に行けばいい」という古い考え方と同じ脈略で。
 また、高齢者や障害者のための行動や施策を、その中身を問うことなく無条件に「良きこと」として祭り上げてきたツケが回っているという見方もできる。席を譲ることを「よい子の特別なやさしい行為」としてしまったから、席を譲ることに気恥ずかしさがこみあげる。
 そんな日本特有の福祉観が、不要論を押しのけてシルバーシートを産み育ててきた。「あんなものはなくても当然譲る。シルバーシートはむしろ福祉の遅れの象徴だ。思いやりは、良きことではなく当然のこと」という優先座席の存在しない外国の方からの指摘もあるようだ。そういった考え方を受けて現在阪急電鉄では「全席優先座席」を実施している。
もちろん、もしかしたら子供たちの反応の中には阪急電鉄の決定のように「優先座席を設けるということ自体がおかしい、すべての座席で、すべての人たちが譲り合うようになれば“空いている車内でどこに座るべきか”などという不毛な話し合いは必要ない」というものがあるかもしれない。

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 私が以上の事柄を踏まえて子供たちに提示する上で最も重要だと考えるのは、優先座席といういわゆる法の変形(譲るべきであると決められた場所)と、席を譲るという道徳的行為の関係を知ることである。個々人の倫理観や道徳観に言及するのではなく…つまり上記の例でいうならば「優先座席はこういった人が座るもの」「席を譲るということは良いこと」といった上辺だけの道徳を植え付けるのではなく、「お年寄りや身体の不自由な人等に対してこういったふうに手助けしてあげたい」というような道徳観・倫理観が優先座席の存在よりも先にあって、それが「優先座席」を生み出したという事を知るべきではないだろうか。

そして例えばハインツの例にしてもこの優先座席の例にしても、その事柄だけを考えるのではなく、様々な側面を取り上げて考えさせることが必要であると思う。
上記で子どもたちに質問した以外に、
「(優先座席の無い)電車内で、お年寄りが席も無く辛そうにしている。あなたはその人の近くで座っているが、どうするか」
「あなたが怪我をしている時電車内で立たなければならず辛そうにしているとき、誰かが席を譲ってくれた。どう感じると思うか」
(共に「マジシャン」の例に近い「法」の要素の無い質問)
というようなものを改めて提示した場合に、どういった反応が出るかは先程の質問よりも想像し易い。譲ってあげると思う/譲ってもらうと嬉しい、などが恐らく多くの意見であろうと思う。
それこそが倫理観・道徳観であり、そこから生み出されるものが法や決まりであるという認識を私は子どもたちに持ってもらいたい。

結論として、私は法を作り上げる根底にあるものが倫理や道徳であるということを子ども達に伝えるために、以上に述べたように、「法の要素を含めた例」と「法の要素を含まない例(法を生み出す前の状態の例)」どちらも取り上げる事がこういった物語を使った道徳教育の中で有効且つ不可欠であると考える。

投稿者 mizuno : 01:18 | コメント (4) | トラックバック