約束は大切に

 どうやら私には、約束をした相手がうっかりと忘れたときに大きな寂しさと憤りを覚える癖があるようです。
それは大きな約束ではありません、そういったものは相手も忘れないものです。
ほんの些細な、取るに足らない程度の約束こそ、私はとても大切に思うのです。

 そもそも約束という言葉を以前より聞かなくなったのはコミュニケーションツールの著しい発展のせいでしょうか。
中学生の頃経験した、待ち合わせの約束や「9時に電話をかけるから、絶対とってね」というような約束はもうすっかりご無沙汰です。
今では待ち合わせは「起きたら連絡するね」に変わり、電話は特別プライベートなものになりました。いつでも連絡手段があるのが当たり前という風潮の中で、約束を守るという緊張感はこれから益々薄れていくのではないでしょうか。

 そんな中で厄介なのが、
「また連絡します」「終わったらメールします」「後ほど…」といったような言葉の処理の仕方です。
私の場合、その「また」や「終わったら」や「後ほど」を心待ちにしてしまう傾向があるのですが、
言っている方はそれ程確かな指示をしたつもりが無いという状況が多く、とても寂しく感じるのです。
何度も繰り返すうちに、「終わったら」は、物事が終わってから無限に先までを指すこともあるということ、「また」や「後ほど」もとても曖昧な表現であることを学びました。
そこには決して緊張感など無く、それは「約束」とは違うものなのです。

気づけば自分自身も簡単にその曖昧な表現を使うようになってきましたが、使うたびに感じる気持ちの悪さは濃くなるばかりです。何故って、今度はこちらの「後ほど」や「終わったら」を待っていない相手に気づくからです。
コミュニケーションに緊張感が無い。これは、とても悲しいことだと思います。

 以前忙しかった時期に、伴奏をしてくれているピアニストの友達とのやりとりを毎度毎度曖昧にしてしまっていたことがありました。どこかで「まずいな、ずるずるやってるな」と感じつつ、忙しさを言い訳にしていた私に彼女は
「真梨ちゃん、いい加減すぎるわ」とぶつかって来てくれました。
彼女はとても的確に、素直に、私に対して怒りをぶつけてくれました。
当たり前の筈の彼女の言葉が胸に刺さり、ひどく落ち込んだのを覚えています。
その後私の謝罪を受け入れてくれて今もいい関係を続けてくれている彼女は、曖昧さは、言い訳しか生んでくれないことに気づかせてくれました。


 約束の話に戻りがてら自分の話をしますが、
付き合った相手との些細な約束について、私はよくそれを楽しみにし過ぎてしまったことがありました。
それは他愛もないことですので相手は忘れしまい、寂しさと憤りが収まらない私に驚き、狼狽させてしまうことが常でした。
「怒らないで」「拗ねないで」「本当に仕方なくて」
そう言われてもしっくりこず、何か気持ち悪いままだったのはどうしてかと考えたところ、
私はどうやら怒っても、拗ねてもいなかったのだと思うのです。
ただ相手よりも楽しみにし過ぎてしまっていた自分が、
その些細な約束を大切にし過ぎてしまっていた自分が、恥ずかしかったのです。
羞恥、ではなく、気恥ずかしいといった風で、まあまるで子供のようなんですが…。
だからきっと、「楽しみにしててくれたんやな」とだけ言って貰えれば一番気持ちに沿ったのでしょう。

「約束は、破るためにある」なんて誰が言ったのでしょう。
それは違います。約束は、取り決めであり、誓いであり、掟でもあります。
守れないことがあったとしても、どんな些細な約束であったとしても、それは大切にすべきではないでしょうか。
約束を破ってしまう多くの背景には、取り交わした双方の温度差がありますが、
私は出来れば相手の温度を感じ取れるようになり、そしてひとつひとつの約束を大事に出来るよう心がけていければ、と思います。

投稿者:mizuno 2005年12月04日 20:58

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