はばたき

リンクにもあるように、私の母は健常の子どもと、知的障がいを持った子どもや大人に音楽を教えています。
私が生まれる前から今までずっと教え続けておりますので、
私は彼らが傍にいて当たり前、身近にいて当たり前の生活をしてきました。
障がいを持った子どもの御両親、御兄弟、そして大多数の、そういったことが身近でない方々、どなたとも違う視点から彼らを見ていると自分では思っています。
どういった視点だと聞かれると難しいのですが…上の文は適当に流しておいて下さい。

昨日の夕方、母が珍しくわあわあ言い出したので聞いていると、話は次のようなことでした。

「ともくん(母の生徒)、最近ものすごい頑張ってやってな、
 両手使ってピアノ弾くようになってきてんで!」

ともくんは私にもなついてくれる小学校高学年の男の子です。
「ほんまに!すごいやん!」と、うれしくなりました。
彼らは読み書きが苦手なように、いろいろな物事を複合して行うことが困難です。
そんな彼らがピアノを両手で弾こうとするって、凄いことです。

「でもな、ともくんピアノ弾きながらずっと喋りやんねん。
 ”ともくんなんか、はばたきに帰れ”
 ”ともくんなんか、はばたきに帰れ” って言いやんねん。
 普通学級の子に言われるんやろうなあ、それを覚えて、自分で何度も言うんよ」

はばたき学級は、私の母校である小学校の障がい児クラスのことです。
はばたきの子どもたちは時々、普通学級の子どもたちと一緒に過ごします。

「ともくんのお母さんは笑って
 ”みんなに言われてるんでしょうねえ”って言いはるけど、
 私涙出てきて、たまらんかって…」


いわゆる健常者が、障がいを持った人を理解することは不可能です。
突然「大切にしなさい」だとか「同じ人間なのよ」と言われても子どもたちは理解できないでしょう。染色体がどうだとか、何がどう自分と一緒で、どう自分と違うのか分からないんですから。
何だか腫れ物にさわるような、もしくは偽善を覚えさせるだけの教育が横行しているように感じます。
それさえ無ければ、簡単に「はばたきに帰れ」と言えてしまうものなんですね。

私が小学生の頃、今と同じような気持ちになった事がありました。
ある障がいを持った子の妹が、「お前の兄ちゃんアホなんやろ」と言われたと問題になった時です。
彼もまた母の生徒で、やはり私は良く知っている男の子でした。
その時の先生の注意は今もはっきり覚えています。
「そんなん言うたらあかんのよ」


こういった場合に限らず差別というものは決して無くなるものではないでしょう。
でも
「帰れ」と人に言われた言葉を自分で繰り返してしまう我が子を見た母親、
ただ生きているだけで差別の対象になってしまう彼らを守ろうとする家族、
せめてそういった人の事を少しでもいたわる心が持てないものでしょうか。

受け入れられない、出来れば関わりたくないという人がいるのも仕方ないでしょう。
理解出来ないことを話したり、行動が大胆な彼らですから、歯止めが利かずに腕をひっぱったり噛み付いたり。そうなると尚更近寄りがたいというのも確かにあるでしょう。当たり前です。

ですが何があっても、どんな理由があっても、
私にとって、言葉で彼らや彼らを守る人たちを傷つけることは、許すことの出来ない行為です。
自分に理解出来ない何かを背負った人間に対して、失礼なことを言うべきでないと言いたいわけです。
ああもう、「そんなん言うたらあかんのよ」で何が伝わるというのでしょう。

妙に熱くなってしまいましたが、日の浅い出来事ですのでお許しください。
後に自分の発言が恥ずかしくなった時は削除させて頂きます。
今回は、これにて。

投稿者:mizuno 2005年09月28日 00:47

コメント: はばたき

mixiのほうで書いたけど、こっちにも転載しとく。


 身体障害とか、遺伝性の難病とか、そういったものはある一定の人数に対して一定の比率で発生する。それを考えると僕はいつも、なぜ「私」ではなく「あなた」だったのかと思う。
 
 僕の父親は病気で死んだが、その病気は僕に遺伝する可能性があった。しかし遺伝しなかった。なぜだろう。それが遺伝する人もいるのだ。僕は生き残り、父は墓の中。なぜだろう。
僕が墓の中で、父が生き残るということはなぜありえなかったのか。
 
 先の障害、先天性の難病の話に戻ろう。先天性の難病、以前まではハンセン病がそうだった。「私」が普通に暮せて「あなた」はなぜ地獄の鎖に繋がれるのかと思う。なぜ「私」ではなく「あなた」であったのか。

 それに答えがあるとしたら、「あなた」は「私」の身代わりになってくれたのだと考えるしかないのではないかと思う。本来「私」が負うべき責苦を背負ってくれた「あなた」。許して欲しいと僕は思う。贖罪はどのようにして行われるのかと考える。

 小さい子たちに障害者と呼ばれる人々のことを理解してもらうには、上に書いたようなことを話すこともいいのではないかと思う。

 本来「私」が負うべき責苦を負った「あなた」は僕の身代わりになってくれている。とすれば、それにお返しをするのは当たり前である。それが福祉というようなことだと思う。

投稿者 sokuto : 2005年09月28日 03:39

sokuto>
ありがとう、なんとなくまとまらなかった私の文章を結論づけてくれたような気がします。

このトピックをブログで取り上げるべきか悩みましたが、あなたのコメントを見て書いてよかったと感じました。

本当にありがとう。

投稿者 水野 : 2005年09月28日 18:12

削除しないでいいと思うよ。うん。
てか、削除して欲しくない。

この記事ですごく色んなことを教えてもらったよ。
ありがとね。

投稿者 田中哲也 : 2005年09月28日 21:43

田中さん>
ありがとうございます。
そう言っていただけると嬉しいですね!
こういったことは触れる機会が無い方も多いので、ネットという媒体を使って何か伝えられればいいなとはいつも思うのですが…
どうもこういう「独り言」的なネットワールドでは自分寄りになりがちですので悩んでしまいます。

投稿者 水野 : 2005年09月28日 23:51

俺はあんまり知識人ではないのでそこまでまっとうなことを書ける自身がないのだけれど一つ分かるのはこうして鍵盤弾いて健康を損なうことなく音楽活動できてるという状況がほんとに幸せなことだと思います。

水野マリちゃん、sokutoさん、田中哲也さん、またこの記事を読んでる方もすでに分かってらっしゃると思うのですが、世の中はほんま不平等ですよね。障がいを持つ方、災害に巻き込まれる方、反面、悪事で富と栄誉を手にする人もいるでしょうから、これこそ神様のいたずらなんでしょう。
みんなそれぞれ違う立場であるのはしゃあないことやし「差」があるのは当たり前と思います。むしろそれが個性。

ただそんな世の中だからこそ相手の立場になって考えられるヒトを目指したいものです。そもそも自分が言われたらいやなこと相手に言うヤツにはなりたくないですね。

すいません、現在バイト求職中で本職の音楽でもろくに稼げてない青二才が書くべきことじゃなかったかもしれません。
気分を害した方がいらっしゃったら申し訳ございません!!

投稿者 はっちゃん(ヒダマリ) : 2005年09月29日 21:57

はっちゃん>
コメントありがとうございます!
皆いろいろと感じて下さったようで、それが何より嬉しいです。

人はたった二人しかいなかったとしても、見ようによっては不平等です。
その不平等さの中から自分を優位に見せられる要素を探すよりも、自分と違う「他」なるものを受け入れ、「No.1よりonly one」の精神でいたいものですね。

うーん、難しいトピックです。

投稿者 水野 : 2005年10月03日 18:04

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