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私の高校時代の同級生が子供を産んで早や1年以上が過ぎました。噂を聞くばかりで実際に会いに行ったことはないのですが、同じような歳の子供を見ると不思議な感じがしますね。
つい2,3年前まで同じ教室で同じように生活していた友人が、もう母親になって一人の人間を育てているなんていまだに実感が湧きません。何といっても子育てがどれ程大変なのか予想もつきませんから。
つい先日ある雑誌で「わが子が10円玉を拾ったら交番に届けさせるべきか」というタイトルのコラムを読みました。筆者は幼児学習施設を経営しておられる正司女史。そこにあった文章をお借りして紹介致します。
「子どもには交番に届けましょうと言いながら、親は拾った10円を交番に届けるでしょうか。おそらく、届けませんよね。警察に届けるということは頭ではわかっているけれど、それが現実とは結びつきにくいわけです。 では、いったいいくらであれば、拾ったお金を交番に届けることが現実的といえるのでしょうか。500円?それとも1000円? 1万円? もちろん、正解はありません。お金の価値観も人によって、さまざまです。道徳的に考えれば、金額じゃないわけですが……。 10円を拾ってきた子どもに対して教えなければならないこと、伝えなければならないことは、とにかく、その10円は、あなたのものではなく、人のものなんだということだと思うのです。」
他人と自分の距離が測り難い曖昧な世の中、物を大切に出来ない、人を大切に出来ない人間が増えていると様々な場面で色々な方が嘆いておられます。子供たちに伝えるべき事は多く、これからの時代に母親となるであろう私には、上にご紹介した文章はとても印象的でした。
正司女史はこのように続けます。
「私が教えている幼児教室では、忘れ物を取りにこないお母さんが増えています。子どもたちに「ものをなくしたらどうするの」と聞くと、「買ってもらう」と答える。「探す」という答えじゃないんです。親が、ものをなくすことがどういうことなのかを子どもにきちんと話していないんですね。だから、子どもも必死で探そうとしない。
私は自転車や傘の盗難が多いということと、それとは無関係ではないような気がします。これぐらいだったら盗ってもいいだろう、盗られてもいいだろうと思う気持ちが、盗ったほうにも盗られたほうにもある。腹は立つけれど、盗られたほうにそれほどショックがないのも問題なんです。ものをなくしたり、ものを盗ったりということが簡単になっているということは、そこから生じる痛みがお互いにわかっていないということなんです。
最近はコンビニに行くと、レジの前に募金箱が必ず置いてあります。私の友人は小銭を拾ってきた子どもに対して、それは人のお金であるということ、そして持ち主がわからないためにその人に返すことができないということ、人のものだから自分のものにはしてはいけなということを教え、それならば困っている人のために役立てましょうと、募金箱に入れるよう話しているそうです。10円を拾ってきた子どもに対する答えは、これがいちばん現実的だと思います。」
正しいことやこうすべきだということを教える事は難しく、実行することも難しいですね。先ずはその判断自体が難しいんですから。
難しいけれど、これから育てる立場に立つであろう年代の人間が、教えること、考えること、思いやることを放棄せずにいるような社会であって欲しいと思います。そして間違ったことは間違っていると言えるように。
私の同級生である彼女はもう既にパートナーと別れ、シングルマザーをしながら学生を続けているそうですが、明るく生活しているという話を耳にして安心しました。元々明るく活動的な子でしたので、あのパワーで乗り切っていってくれることを陰ながら期待し、そして応援しています。