VIOLINと音楽とうさぎと教室での毎日を綴ります。
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京都・奈良から発信ちゅう
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本屋で先日友人が「感動したよ!」と言っていた本を見つけました。
deep loveというタイトルで、女子高生が主役のお話です。
どうやら映画にもなったらしく、テーマは愛や援助交際や友情と盛りだくさん。
詳しくは知らないので、少し手にとって読んでみようかとしたところ、その本は横書きでした。
字体はゴシック体のようで、一文字一文字がとても大きく刷られています。
内容はともかく、私はそれに驚きました。
向田邦子のエッセイの中に、「縦の会」というのがありますが、ご存知ですか?
そこには「このままでゆくと、日本はいずれ横書きの国になる」と書かれていました。
deep loveを手に取った時その言葉がよみがえり、
私たちの生活のほとんどが「縦書き」から「横書き」になっていることを改めて感じました。
インターネットや携帯電話に、縦書きの文化はますます圧され、
そこに「縦書き」はほとんど存在しません。
向田邦子がそのエッセイを書いた時にどうだったかは分かりませんが、
少なくとも私が生まれる前のエッセイだったのでそれらはまだまだ少なかった頃でしょう。
インターネットや携帯が急速に普及しだしたのはここ十年程のことで、
その「横書きの国になる」という懸念は急速に深まってしまったのではないでしょうか。
その向田邦子はもちろん、私の好きな幸田文や宮部みゆきの文章が横に倒されると、きっとものすごく味気無くなります。
それはつまり、英字が縦に並べられるのと同じような感覚でしょうか。
縦書きは横書きになれないし、
横書きは縦書きになれない。
個人的な話では、高校時代に作った中国劇の脚本を小説に直そうと挑戦してみると、驚くことに私は1ページで中断してしまいました。
演じるのに丸々1時間はかかるというそれなりに内容の濃い(と自画自賛の)脚本は横書きで書きました。
その時は深く考えませんでしたが、私も知らず知らず横書きに慣れてしまって、そうしたのでしょう。
そしてそれを縦書きの小説に直そうというのが、想像を遙かに超えて難しいものでした。この難しさは、例えば携帯電話のメールを一度紙に縦書きで書いてみると分かると思います。
そこには、全く違った文章があるはずです。
縦と横の差は、こんなにも大きい。
考えてみればすごく身近なことですが、
失われつつある日本文化の一片が、ここに現れてるのかなあなんてぼんやり思ったりしています。
「縦書き便箋の売り上げはえらい減ったんやろなァ」などど呑気に考えていられるのはいつ頃まででしょう。
年賀状も横書きの多くなった現在、せめて宛名ぐらいはいつまでも縦書きであってほしいと思います。
考えたことなかったねぇ。失われた日本の文化ですか。
しかし、何で「失われた」なんかな?「失われた」んかな?
どういう流れで使われた言葉なのかが、気になって気になって気になって気になって。今度貸して~。
そういや大学で第二言語でチャイ語やってるけど、テキスト全部横書きやんね。
ピンインをふるために形上仕方がないことなんやろうけど。
チャイ語って横書き?縦書きイメージあるけど。もし縦書きなのなら、曲げて教わってる気がして若干気持ち悪い。
(予想は昔は縦書きで現代は横書き)
投稿者 140 : 2005年08月22日 14:18
失われつつ、であります。
またそこらへんはゆっくり腹わって話そうやないか!
チャイ語はわかりません、私はドイ語とりましたです。
投稿者 水野 : 2005年08月23日 23:09